
「福井生まれの大阪育ちです」
出身地を聞かれたとき、私は必ずこう返事をする。
生粋の福井県民である両親の間に生まれた長男である。
5歳上の姉がいるが、長男は長男だ。
福井で生まれてはみたものの、父親の転勤で3歳の頃に大阪に引っ越しをしたので、福井での生活の記憶はほとんど無い。
覚えていることといえば、父親が購入した新築一戸建てへの引っ越し当日に、片付けが終わってないダイニングで弁当屋で買ったカレーを食べたことぐらいである。
その一戸建てにも半年住むか住まないかで大阪に引っ越しをした。
引っ越した先は高度経済成長で造られた団地…から少し離れた昔の村の雰囲気が残っている地区。
ベタベタの関西弁を喋り、ノリが良いと言われる私だが、福井県民の血が流れていることを誇りに思いながら大阪で育った記憶を書いていこうと思う。
【雷鳥に泳ぐ鯉のぼり】
5歳になった私は近くの幼稚園に通うことになった。
幼稚園に入園してすぐの4月。
こどもの日が近いので、鯉のぼりを幼稚園で作った。
50㎝ほどのプラスチックの棒に、紙を切り貼りして作った青とピンクの鯉が並んでいる。
子供ながら「完成度が高い!」と思ったのか、自慢の逸品となった。
その年の夏、私は小学生だった姉と2人だけで福井の祖父母の家に行くことになった。
私は自慢の逸品である鯉のぼりをどうしても祖父母に見せたいと思い、鯉のぼりを持った状態で新大阪発の雷鳥に乗車した。
車内で食事をし、満足したところで爆睡。
「こいつ降りる時に起きるのか?」姉をドキドキさせながらも無事に福井県の鯖江駅に到着。
祖父母の家では畑に遊びに行ったり、いとこ達と花火をしたりと夏休みを満喫した。
帰りも自慢の鯉のぼりを持って雷鳥に乗車。
5歳の子供が持つ自作の鯉のぼりは、新大阪駅で旅行会社の添乗員の旗より目立っていたようだ。
母親はいまだに「鯉のぼり持ってるの見て、他のお客さんが笑うのよー。迎えに行ったときは鯉のぼり探してねー。かわいかったわー。」と何度も語る。
70歳を超えて楽しそうに語る母親を「かわいいなー。」と思いながら中年の私は感慨深い気持ちになるのである。
鯉のぼりと乗車した雷鳥では、車内で食べたサンドイッチの横にあった干しプルーンが謎の物体すぎて気持ち悪かったことが一番の思い出である。